愛しい父へ3(手術そしてお見舞い)
2月8日に旅立った父の記録前回はこちら 【2018.2.3】手術を控えた父のお見舞いに行きました人生で初の「父のお見舞い」検査着を着て健気にこなしていました「甘いのが食べたい」と言うのでいろんな甘いのを持って行きましたが実際には手術前後の食事制限が想像より厳しく…気 ...
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2月8日に旅立った父の記録
前回はこちら
【2018.2.3】
手術を控えた父のお見舞いに行きました
人生で初の「父のお見舞い」
検査着を着て
健気にこなしていました
「甘いのが食べたい」と言うので
いろんな甘いのを持って行きましたが
実際には手術前後の食事制限が
想像より厳しく…気持ちは食べたかったんだよね

帰りにエントランスまで
送ってくれたので
父とふたりで
記念撮影をしました
その写真が5年後
奇しくも
わたしが父へ送った
最後の画像となりました
父とはずっと
最期まで
LINEでやりとりをしていました
ただ、段々と返信がなくなってきたので
スマホを操作するのもつらいのだろうと
送信を控えていたのですが
この最期のときに
娘として無言というのもな…
そこで「写真だけ送ろう」と
父が返信に気を遣わないで済むよう
写真と一言だけメッセージを…
その第一弾に選んだのが
5年前、人生で初めての「父親のお見舞い」の日
その父と二人きりで撮った写真でした
なにもそんな病院の写真なんて…
と思われるかも知れませんが
父娘のツーショットって
なかなかないもので
父はまだふっくらとしていて
とてもいい笑顔で
これも父との「いい思い出」です
「がんばって」と一言だけ添えて送りました
よしよし
明日はなんの写真を送ろうかな
送りたい画像たくさんあるな
いろんな思い出を頭の中が駆け巡っていました
そして、その翌朝旅立ちました
わたしの名案は
たった一度で終了しました
【2018.2.5】
この日が、父の人生初の手術でした
今思えば
亡くなるほんとにちょうど5年前
当然立ち会うつもりでした
が、やんわり断られました
「5時間くらいの簡単な手術」
と聞いていたので
「立ち会うほど大袈裟なものでないのかな?」
くらいに解釈しましたが
どんな場合でも全身麻酔は怖いですし
手術が始まる時間は自宅で祈っていました
朝の9時過ぎに始まった手術
お昼過ぎには「おわったよ」と連絡が入るかな?
と呑気に構えていたら
だれからもなにも連絡がない
お昼はとうに過ぎ
母にメールしても返信がない
夕方になってやっと返信
おわった!?
(予想より長くかかっちゃったのかな)
すっかりおわったメールかと思って見たら
「難しい場所なのでもう少し時間をください」
と言われたと…母
そ、そっかそっか
神様、お医者様
焦らなくいいので
どうか父を無事に返してください(焦り)
この日の母とのやりとり

その日は、仕事帰りの主人と
夜のジムへ行く日だったので
予定通り行きました
「さすがに帰ってきたら返信あるよね〜」
なんて話していたのに
帰ってもなんの通知もない
この時点でもう21時をまわっていました
5時間でおわると聞いていた手術が12時間…?
憔悴しているであろう母へ
なん度も連絡するのは申し訳ないけれど
連絡しないわけにいかない
その後、22時をまわってやっと
「おわった」とメールがありました
「今からタクシーで帰ります」
とメールが来たのが23時
やっぱり行けばよかった
と思いましたが
ずっとおば(母の姉)が付き添ってくれたので
正直「助かった」と拝みました
【2018.2.20】
その後は順調に回復し
術後のお見舞いに
主人と訪れました
すっかり安心して随分のんきな記事です
3月6日に退院しているのですが
この後、入院するのは
もうコロナ禍の後のことなので
これが父の最後のお見舞いとなりました
きょうで悲しい2月はおわり
まだ時折、涙を流すことはありますが
悲しい涙ではなく
どちらかというと温かい涙に変わりました
初回はこちら
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【2018.2.3】
手術を控えた父のお見舞いに行きました
人生で初の「父のお見舞い」
検査着を着て
健気にこなしていました
「甘いのが食べたい」と言うので
いろんな甘いのを持って行きましたが
実際には手術前後の食事制限が
想像より厳しく…気持ちは食べたかったんだよね

帰りにエントランスまで
送ってくれたので
父とふたりで
記念撮影をしました
その写真が5年後
奇しくも
わたしが父へ送った
最後の画像となりました
父とはずっと
最期まで
LINEでやりとりをしていました
ただ、段々と返信がなくなってきたので
スマホを操作するのもつらいのだろうと
送信を控えていたのですが
この最期のときに
娘として無言というのもな…
そこで「写真だけ送ろう」と
父が返信に気を遣わないで済むよう
写真と一言だけメッセージを…
その第一弾に選んだのが
5年前、人生で初めての「父親のお見舞い」の日
その父と二人きりで撮った写真でした
なにもそんな病院の写真なんて…
と思われるかも知れませんが
父娘のツーショットって
なかなかないもので
父はまだふっくらとしていて
とてもいい笑顔で
これも父との「いい思い出」です
「がんばって」と一言だけ添えて送りました
よしよし
明日はなんの写真を送ろうかな
送りたい画像たくさんあるな
いろんな思い出を頭の中が駆け巡っていました
そして、その翌朝旅立ちました
わたしの名案は
たった一度で終了しました
【2018.2.5】
この日が、父の人生初の手術でした
今思えば
亡くなるほんとにちょうど5年前
当然立ち会うつもりでした
が、やんわり断られました
「5時間くらいの簡単な手術」
と聞いていたので
「立ち会うほど大袈裟なものでないのかな?」
くらいに解釈しましたが
どんな場合でも全身麻酔は怖いですし
手術が始まる時間は自宅で祈っていました
朝の9時過ぎに始まった手術
お昼過ぎには「おわったよ」と連絡が入るかな?
と呑気に構えていたら
だれからもなにも連絡がない
お昼はとうに過ぎ
母にメールしても返信がない
夕方になってやっと返信
おわった!?
(予想より長くかかっちゃったのかな)
すっかりおわったメールかと思って見たら
「難しい場所なのでもう少し時間をください」
と言われたと…母
そ、そっかそっか
神様、お医者様
焦らなくいいので
どうか父を無事に返してください(焦り)
この日の母とのやりとり

その日は、仕事帰りの主人と
夜のジムへ行く日だったので
予定通り行きました
「さすがに帰ってきたら返信あるよね〜」
なんて話していたのに
帰ってもなんの通知もない
この時点でもう21時をまわっていました
5時間でおわると聞いていた手術が12時間…?
憔悴しているであろう母へ
なん度も連絡するのは申し訳ないけれど
連絡しないわけにいかない
その後、22時をまわってやっと
「おわった」とメールがありました
「今からタクシーで帰ります」
とメールが来たのが23時
やっぱり行けばよかった
と思いましたが
ずっとおば(母の姉)が付き添ってくれたので
正直「助かった」と拝みました
【2018.2.20】
その後は順調に回復し
術後のお見舞いに
主人と訪れました
すっかり安心して随分のんきな記事です
3月6日に退院しているのですが
この後、入院するのは
もうコロナ禍の後のことなので
これが父の最後のお見舞いとなりました
きょうで悲しい2月はおわり
まだ時折、涙を流すことはありますが
悲しい涙ではなく
どちらかというと温かい涙に変わりました
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