愛しい父へ11(最後の会話)
2月8日に旅立った父の記録前回はこちら【2023.2.2】父と最後の対面の日前日のめいっこのようにいっしょに写真撮りたいなあと思っていたのですが言い出せずすると父の方から「自撮りをお願いします」とわたしは涙を拭いて精一杯の笑顔で撮りました「父娘の最後の写真」父はず ...
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2月8日に旅立った父の記録
前回はこちら
【2023.2.2】
父と最後の対面の日
前日のめいっこのように
いっしょに写真撮りたいなあ
と思っていたのですが
言い出せず
すると
父の方から「自撮りをお願いします」と
わたしは涙を拭いて
精一杯の笑顔で撮りました
「父娘の最後の写真」
父はずっと「ガンは幸せな病気なんだよ」
と言っていました
(そういうタイトルの本もありますよね)
わたしもそう思います
もちろん
闘病は本人も周りもつらいですが
お別れの準備ができます
一年かけてお別れの準備をしてきました
「最後の誕生日」
「最後の対面」
「最後の写真」
「最後の言葉」
「最後かも知れない」という気持ちで
お別れができるということは
本当に幸せなことです
父が「何時までいられるの?」と
こんなときまで
ベガのことを気にかけてくれたのか
わたしは名残惜しくも
あまり長時間は家を空けられません
いよいよお別れです
もちろん
11日はパーティーの約束でしたし
また次に会えることを願って
でも、最後かも知れないので
たくさん抱き締めて
たくさん「ありがとう」と言いました
すると、父の手がわたしの後頭部に触れ
頭を撫でてくれました
きっと、わたしが幼ないころは
たくさん頭を撫でてくれたのでしょうが
記憶にはありません
「最初で最後の」いいこいいこ
「11日に絶対会おうね!」
これがわたしが父に掛けた
最後の言葉でした
わずか、3時間足らずの
対面だったと思います
ベガのことがなければ
もっとじっくりお別れが
できたかも知れないけれど
これでよかったのだと思います
最後も、いつまでも父から離れないわたしに
母が「キリがないよ」と
引き離してくれました
ベガのことも心配だったので
そのお陰で悲しみが分散されて
かえって救われた気がします
今度はベガの番
「どうか無事でいて」
父に想いを馳せながらも
足は家路へと急ぎます
「ベガ!ごめんねごめんね」
てっきり横になっているかと思ったら
いなかったので
「え!」と辺りを見回したらいました
キャットタワーに移動しており
ほっとひと安心
遠くからそっと画像を撮り
みんなに無事をお知らせしました

【余談】ベガのことについて
なん度か、病院に行った日は
ぐったりしてしまうことがあったのですが
たまたま前日が病院の日だったもので
その症状(?多分精神的なものだと思うのですが…)
が出てしまい、その後すぐ回復しました
それ以来、今のところ病院へ行っても
その症状はなく、元気にしてます
最近、ベガの体調不良の記事も続いていますが
今は本当に元気です
食欲も旺盛で遊んだり甘えたり
ふつうのにゃんこ生活を送っています
その日、母が持たせてくれたもの
父が作ったお味噌とたくあん
梅干しは作れなくなってしまったので
父が元気なときにポチったものだそう

最後の父の味
大事に大事にいただきました
父が亡くなった後も食べるのはつらいなあと
思いましたが、少しずついただきました
それからわたしは
季節外れの「梨」を探しました
父が食べたいと言い
母が「この時期はないわよ」となだめたら
「食べられるものがないっつってんだろっ」
わー
ひさびさに聞いた父節
かすれ声なのに
思わずビクッとなるほど恐ろしい
父は、娘たちや周りの人には
とっても穏やかな人でしたが
母にだけは怒鳴ることがあり
それがまた迫力満点なんです
(ふだん怒らない人ほど…ってやつですね)
わたしが嫁いでからは
「おかあさん、おかあさん」て
すっかりデレデレの
おかあさんだいすき人間になっていましたが
自由がきかなくなった体に
苛立っていたのでしょう
母は、慣れている感じでしたが
こんなに甲斐甲斐しくお世話しているのに
父のきもちもわかりますが
やるせないですよね
でも、父と最後の会話をしているときに
「お母さんでよかったね」
「こんなに献身的な人いないよ」
などと話したら
父は目を瞑りながら
(うん)(うん)と
噛み締めるようにうなずいていました
なので
父のためにも
母のためにも
なんとしても梨を探さねば!
そうしたら、意外にも
ネットにはたくさんありました
季節外れの梨
決してお安いお値段ではないのですが
わたしと同じ「病床の父が」や
「妊娠中の妻がどうしても」など
季節外れの梨に感謝の声がたくさんでした
遠方ですし
注文があってからの収穫なので
間に合うかわかりませんが
急いでくれとも言えず
「病床の父がどうしても食べたいとのことで
間に合うことを祈っております」
と、備考欄に書いて注文したら
「なるべく急ぎます」と
わざわざメッセージをくださいました
翌日、節分の日
母から
「恵方巻きとショットグラスにビール一杯飲んだよ」
と、LINEが来ました
まだ元気なときに
父自身が選んだ恵方巻きだったようです
このまま、またゆっくり
少しずつすこしずつ
衰えていくのかな
とも思っていました
それから程なくして
父からLINEが来ました
「梨が届いた」と
よほど急いでくださったのでしょう
父を見舞った2日の夕方に注文し
4日の夜には「食べたよ」と…
後からストアにはお礼を兼ねて
レビューを書かせていただきました
父自身が撮影したようです

寝たきりになってからは
一言だけのLINEだったのに
文章で、画像も添付して…
これが父からの最後のLINEとなりました
いよいよ最期のとき
そんなとき
わがやに波乱が起きました
初回はこちら
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【2023.2.2】
父と最後の対面の日
前日のめいっこのように
いっしょに写真撮りたいなあ
と思っていたのですが
言い出せず
すると
父の方から「自撮りをお願いします」と
わたしは涙を拭いて
精一杯の笑顔で撮りました
「父娘の最後の写真」
父はずっと「ガンは幸せな病気なんだよ」
と言っていました
(そういうタイトルの本もありますよね)
わたしもそう思います
もちろん
闘病は本人も周りもつらいですが
お別れの準備ができます
一年かけてお別れの準備をしてきました
「最後の誕生日」
「最後の対面」
「最後の写真」
「最後の言葉」
「最後かも知れない」という気持ちで
お別れができるということは
本当に幸せなことです
父が「何時までいられるの?」と
こんなときまで
ベガのことを気にかけてくれたのか
わたしは名残惜しくも
あまり長時間は家を空けられません
いよいよお別れです
もちろん
11日はパーティーの約束でしたし
また次に会えることを願って
でも、最後かも知れないので
たくさん抱き締めて
たくさん「ありがとう」と言いました
すると、父の手がわたしの後頭部に触れ
頭を撫でてくれました
きっと、わたしが幼ないころは
たくさん頭を撫でてくれたのでしょうが
記憶にはありません
「最初で最後の」いいこいいこ
「11日に絶対会おうね!」
これがわたしが父に掛けた
最後の言葉でした
わずか、3時間足らずの
対面だったと思います
ベガのことがなければ
もっとじっくりお別れが
できたかも知れないけれど
これでよかったのだと思います
最後も、いつまでも父から離れないわたしに
母が「キリがないよ」と
引き離してくれました
ベガのことも心配だったので
そのお陰で悲しみが分散されて
かえって救われた気がします
今度はベガの番
「どうか無事でいて」
父に想いを馳せながらも
足は家路へと急ぎます
「ベガ!ごめんねごめんね」
てっきり横になっているかと思ったら
いなかったので
「え!」と辺りを見回したらいました
キャットタワーに移動しており
ほっとひと安心
遠くからそっと画像を撮り
みんなに無事をお知らせしました

【余談】ベガのことについて
なん度か、病院に行った日は
ぐったりしてしまうことがあったのですが
たまたま前日が病院の日だったもので
その症状(?多分精神的なものだと思うのですが…)
が出てしまい、その後すぐ回復しました
それ以来、今のところ病院へ行っても
その症状はなく、元気にしてます
最近、ベガの体調不良の記事も続いていますが
今は本当に元気です
食欲も旺盛で遊んだり甘えたり
ふつうのにゃんこ生活を送っています
その日、母が持たせてくれたもの
父が作ったお味噌とたくあん
梅干しは作れなくなってしまったので
父が元気なときにポチったものだそう

最後の父の味
大事に大事にいただきました
父が亡くなった後も食べるのはつらいなあと
思いましたが、少しずついただきました
それからわたしは
季節外れの「梨」を探しました
父が食べたいと言い
母が「この時期はないわよ」となだめたら
「食べられるものがないっつってんだろっ」
わー
ひさびさに聞いた父節
かすれ声なのに
思わずビクッとなるほど恐ろしい
父は、娘たちや周りの人には
とっても穏やかな人でしたが
母にだけは怒鳴ることがあり
それがまた迫力満点なんです
(ふだん怒らない人ほど…ってやつですね)
わたしが嫁いでからは
「おかあさん、おかあさん」て
すっかりデレデレの
おかあさんだいすき人間になっていましたが
自由がきかなくなった体に
苛立っていたのでしょう
母は、慣れている感じでしたが
こんなに甲斐甲斐しくお世話しているのに
父のきもちもわかりますが
やるせないですよね
でも、父と最後の会話をしているときに
「お母さんでよかったね」
「こんなに献身的な人いないよ」
などと話したら
父は目を瞑りながら
(うん)(うん)と
噛み締めるようにうなずいていました
なので
父のためにも
母のためにも
なんとしても梨を探さねば!
そうしたら、意外にも
ネットにはたくさんありました
季節外れの梨
決してお安いお値段ではないのですが
わたしと同じ「病床の父が」や
「妊娠中の妻がどうしても」など
季節外れの梨に感謝の声がたくさんでした
遠方ですし
注文があってからの収穫なので
間に合うかわかりませんが
急いでくれとも言えず
「病床の父がどうしても食べたいとのことで
間に合うことを祈っております」
と、備考欄に書いて注文したら
「なるべく急ぎます」と
わざわざメッセージをくださいました
翌日、節分の日
母から
「恵方巻きとショットグラスにビール一杯飲んだよ」
と、LINEが来ました
まだ元気なときに
父自身が選んだ恵方巻きだったようです
このまま、またゆっくり
少しずつすこしずつ
衰えていくのかな
とも思っていました
それから程なくして
父からLINEが来ました
「梨が届いた」と
よほど急いでくださったのでしょう
父を見舞った2日の夕方に注文し
4日の夜には「食べたよ」と…
後からストアにはお礼を兼ねて
レビューを書かせていただきました
父自身が撮影したようです

寝たきりになってからは
一言だけのLINEだったのに
文章で、画像も添付して…
これが父からの最後のLINEとなりました
いよいよ最期のとき
そんなとき
わがやに波乱が起きました
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