2月8日に旅立った父の記録
前回はこちら
【2018.3.10】
父の退院祝い
「実は癌だった」と
ようやく真実を教えてくれました
驚きよりも
「あー、なるほど」
と、腑に落ちなかった部分に
納得がいきました
「本人への告知」をどうするかではなく
わがやの場合「家族への告知」でした
言ってしまった方が
すっきりするのに
父は、母とおば以外には内緒にして
手術へ挑む決心をしたのです
「胆のう癌」
あまり聞き慣れない名前
女優の川島なお美さんが患った病気です
他の臓器と比べて
奥まっているので
発見も手術もとても難しいらしく
(だからあんなに時間かかったのですね)
でも「先生がきれいに取り除いてくれたよ」と…
その通り、その後は順調なようでした
一度、癌を患ってしまったら
定期検診は避けられないですが
毎回「異常なし」と言われ安心していたようです
しかし
その年の父の日に
また別の告白をしてきました
「おれ山に住む」
えええー
父は長野の出身です
わたしも子どものころ
なん度も連れて行ってもらったので
だいすきな長野
父の生家は山奥になるのですが
その近くに春夏の間だけ
ショートステイできる施設があり
そこを「もう借りた」と(事後報告)(定期)
父はガンコなので
もうみんな諦め顔でした
大手術をしてなにかを悟ってしまったのか
余生をすきに過ごしたくなったのか
そのときは体のこともあり心配でしたが
その5年後に亡くなるのですから
今は、父の最後のわがままを聞いてあげて
よかったなって思えます
ドキッとする出だしですが
その年の夏に主人が単独で
山を偵察に行きました
父は5人家族でした
両親(わたしの祖父母)はもちろん
ふたりの弟も亡くしています
一番下の弟はまだ58歳で
ずっと癌で闘病していましたが
2011年に亡くなりました
上の弟は一昨年亡くなりました
コロナ禍だったので父と同じくひっそりと
兄である父ですら後日
お線香をあげに行っただけです
父がどう考えていたかはわかりませんが
家族の中で自分だけが残ったきもちは
どうだったでしょう
おとうさんがんばったね
その5人で過ごした故郷で
最後に思う存分
だいすきな山ライフをさせてあげてもいいかな
そう思えました
それから父の東京⇄長野の生活が始まります
いつものパーティーと定期検診のために
月に一度だけ下山してくる生活
そしてわたしはその年の秋に
主人と山を訪れました
一度はこんな経験も悪くないなと…
両親とわがやと、4人でのいい思い出です
はじめは「単身赴任」だったのですが
そのうち母まで連れて行くようになり
コロナ禍になってもその生活はつづきました
移動規制もある時期でしたし
高齢者の父母への感染も心配でしたし
なにより、持病がある人の罹患は
恐怖でした
自粛していて欲しかったのですが
それでも
わたしの目を盗んで行き来をしていました
わたしに言うと怒られるからこっそりと…
在し日の父と父が耕した畑
ここで童心にかえっていたのでしょうか

なんとかコロナをかいくぐり
冬は閉山してずっと東京にいるので
2020年の冬を迎えるころ
今年一年無事に過ごせた…
と、思っていたのに
父から転移を知らせるメールが届きました
---------------------------------------------------------------
きょう3/8は旅立って
ちょうど一ヶ月の月命日なので
実家へお線香をあげに行ってきました
めいっこの誕生日でもあります
とてもなかよしな
「おじいちゃんと孫」だったので
縁がある日を選んだのでしょうか

お花や弔電など
お悔やみが次々と届いているようでした
わたしがいる間にも
母のLINEや電話がよく鳴っていました

お昼にいただいたお蕎麦も
長野の同級生が送ってきたもの
その山の施設の管理人でもあったので
父と母が大変お世話になった方です

これは「とうじそば」というスタイル
なのですが(汁の中に籠でそばを投じて温めて食べる)
父が生まれ育った場所の郷土料理です
「最後にもう一度
蕎麦を食べさせてあげてください」
と送ってくださったので
父にお供えしてからいただきました
初回はこちら
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ありがとうございます🙏

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父の退院祝い
「実は癌だった」と
ようやく真実を教えてくれました
驚きよりも
「あー、なるほど」
と、腑に落ちなかった部分に
納得がいきました
「本人への告知」をどうするかではなく
わがやの場合「家族への告知」でした
言ってしまった方が
すっきりするのに
父は、母とおば以外には内緒にして
手術へ挑む決心をしたのです
「胆のう癌」
あまり聞き慣れない名前
女優の川島なお美さんが患った病気です
他の臓器と比べて
奥まっているので
発見も手術もとても難しいらしく
(だからあんなに時間かかったのですね)
でも「先生がきれいに取り除いてくれたよ」と…
その通り、その後は順調なようでした
一度、癌を患ってしまったら
定期検診は避けられないですが
毎回「異常なし」と言われ安心していたようです
しかし
その年の父の日に
また別の告白をしてきました
「おれ山に住む」
えええー
父は長野の出身です
わたしも子どものころ
なん度も連れて行ってもらったので
だいすきな長野
父の生家は山奥になるのですが
その近くに春夏の間だけ
ショートステイできる施設があり
そこを「もう借りた」と(事後報告)(定期)
父はガンコなので
もうみんな諦め顔でした
大手術をしてなにかを悟ってしまったのか
余生をすきに過ごしたくなったのか
そのときは体のこともあり心配でしたが
その5年後に亡くなるのですから
今は、父の最後のわがままを聞いてあげて
よかったなって思えます
ドキッとする出だしですが
その年の夏に主人が単独で
山を偵察に行きました
父は5人家族でした
両親(わたしの祖父母)はもちろん
ふたりの弟も亡くしています
一番下の弟はまだ58歳で
ずっと癌で闘病していましたが
2011年に亡くなりました
上の弟は一昨年亡くなりました
コロナ禍だったので父と同じくひっそりと
兄である父ですら後日
お線香をあげに行っただけです
父がどう考えていたかはわかりませんが
家族の中で自分だけが残ったきもちは
どうだったでしょう
おとうさんがんばったね
その5人で過ごした故郷で
最後に思う存分
だいすきな山ライフをさせてあげてもいいかな
そう思えました
それから父の東京⇄長野の生活が始まります
いつものパーティーと定期検診のために
月に一度だけ下山してくる生活
そしてわたしはその年の秋に
主人と山を訪れました
一度はこんな経験も悪くないなと…
両親とわがやと、4人でのいい思い出です
はじめは「単身赴任」だったのですが
そのうち母まで連れて行くようになり
コロナ禍になってもその生活はつづきました
移動規制もある時期でしたし
高齢者の父母への感染も心配でしたし
なにより、持病がある人の罹患は
恐怖でした
自粛していて欲しかったのですが
それでも
わたしの目を盗んで行き来をしていました
わたしに言うと怒られるからこっそりと…
在し日の父と父が耕した畑
ここで童心にかえっていたのでしょうか

なんとかコロナをかいくぐり
冬は閉山してずっと東京にいるので
2020年の冬を迎えるころ
今年一年無事に過ごせた…
と、思っていたのに
父から転移を知らせるメールが届きました
---------------------------------------------------------------
きょう3/8は旅立って
ちょうど一ヶ月の月命日なので
実家へお線香をあげに行ってきました
めいっこの誕生日でもあります
とてもなかよしな
「おじいちゃんと孫」だったので
縁がある日を選んだのでしょうか

お花や弔電など
お悔やみが次々と届いているようでした
わたしがいる間にも
母のLINEや電話がよく鳴っていました

お昼にいただいたお蕎麦も
長野の同級生が送ってきたもの
その山の施設の管理人でもあったので
父と母が大変お世話になった方です

これは「とうじそば」というスタイル
なのですが(汁の中に籠でそばを投じて温めて食べる)
父が生まれ育った場所の郷土料理です
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