2月8日に旅立った父の記録
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【2023.1.1】
昨年の元旦に
みんなに余命を宣告してから
ちょうど一年
この日が、8人で最後のパーティーとなりました
いつもは夕方から夜にかけて
催されるパーティーですが
年に一度、新年会だけは
朝から実家にいます
最後の日を
充分に堪能できた一日でした
わたしが知ってる父よりは
痩せてしまっているけれど
いつも通り、伊達巻をつくったり
おせちの準備をしていました
父の手書きの箸袋も恒例(画像:父LINE)

ひとりひとりにメッセージまで書いてくれます
ただひとつ
クリスマスパーティーのときには
感じなかった異変を感じました
「声がしゃがれてる…?」
一ヶ月に一度
少しずつすこしずつ
衰えてはいたのだろうけど
初めてはっきり感じとった異変でした
でも、いつも通り
みんなと食卓につき乾杯し
「今年もよろしく」
食事もお酒もいただいていました

すると
突然、歌い出したのです
「陽気なおとうさんなのね」
と思われるでしょうが
父は絶対に歌わない人でした
みんなでカラオケに行って
どんなに盛り上げても
歌ってくれませんでした
そんな父が自ら
しかもアカペラで
石原裕次郎さんの歌でした
目を瞑り
懐かしむように…
それを見た母が泣いていました
そのときが近いんだな
それは感じとれましたが
まだ元気なので
一年間覚悟してきたはずなのに
まるで実感が湧きません
解散の時間になり
いつも通り
「これが最後かも知れない」
と思いながら父と別れました
後から主人に聞いたのですが
「とりあえず
80歳になる年までがんばれましたね」
と、父と会話をしたそうです
一見、失礼な会話に
聞こえるかも知れませんが
主人はいつも「まずは目先の目標を」
そうやって父を盛り立てくれました
わたしは年頃になると
いずれ来る両親との別れが
とてつもなく恐怖でした
「とりあえず80歳まで元気でいてくれたら」
いつの頃からか
そう思うようになっていました
そんなこと親に言ったことはありませんが
ちゃんと叶えてくれました
来月、父が生きていたら80歳でした
ここまで元気でいてくれたらいいな
と思っていましたが
それは叶わなかったけれど
ちゃんと80歳になる年まで
がんばってくれました
その後も、いつも通り
父とLINEでやりとりをしていました
2023.1.3(画像:父LINE)

「きょうはこれ食べたよ」
「散歩に行ったよ」
このままゆっくりゆっくり
また今年の桜も眺めることができるかな
2023.1.8(亡くなるちょうど一ヶ月前)

ただ、どんどん食べられなくなっていたようで
朝、目覚めて「今食べたいもの」を
母にそっと囁くのが日課だったそうです
この日はおいなりさん
次回のパーティーまで
期間が空くので
一人で実家いってこようかな
そんなことを考えていた矢先
それは突然やってきました
【2023.1.26】
父から
「きのうからベッド生活になりました」
とLINEが来ました
そんなに悪かったの?
こないだ散歩してたじゃん
いつでも覚悟していたくせに
ショックでした
でも、真相はちがったのです
たまたま、その日は
主人が用事があって
実家に行く予定だったので
(だから父も打ち明けたのでしょうね)
父の様子を見てきてくれました
寝たきりになってしまったわけではなく
電動ベッド(レンタル)の上で
生活した方が体への負担が少ないから
という、訪問医師の助言だったそうです
「いつも通り元気だった」と
主人が、ベッドでPC仕事する
父の画像を送ってくれました
なんだー
でも、これが最後でした
---------------------------------------------------------
LINEっていいですね
写真も画像もスタンプも
後で見返すと
胸がグッとなりますが
まるでまだ生きているような
瞬時にそのときに
タイムスリップしたような
2023.1.21(画像:父LINE)

父が最後に送ってくれた食事画像
どうしても崎陽軒のお弁当が
食べたかったらしく
買ってきてもらったそう
でも、父・母・叔母・主人・私の
5人のグループLINEで
やりとりをしていたので
いつも既読が「4」と付くのですが
もう何度送っても
「3」にしかならなくなったとき
すぐさま現実に引き戻されました
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昨年の元旦に
みんなに余命を宣告してから
ちょうど一年
この日が、8人で最後のパーティーとなりました
いつもは夕方から夜にかけて
催されるパーティーですが
年に一度、新年会だけは
朝から実家にいます
最後の日を
充分に堪能できた一日でした
わたしが知ってる父よりは
痩せてしまっているけれど
いつも通り、伊達巻をつくったり
おせちの準備をしていました
父の手書きの箸袋も恒例(画像:父LINE)

ひとりひとりにメッセージまで書いてくれます
ただひとつ
クリスマスパーティーのときには
感じなかった異変を感じました
「声がしゃがれてる…?」
一ヶ月に一度
少しずつすこしずつ
衰えてはいたのだろうけど
初めてはっきり感じとった異変でした
でも、いつも通り
みんなと食卓につき乾杯し
「今年もよろしく」
食事もお酒もいただいていました

すると
突然、歌い出したのです
「陽気なおとうさんなのね」
と思われるでしょうが
父は絶対に歌わない人でした
みんなでカラオケに行って
どんなに盛り上げても
歌ってくれませんでした
そんな父が自ら
しかもアカペラで
石原裕次郎さんの歌でした
目を瞑り
懐かしむように…
それを見た母が泣いていました
そのときが近いんだな
それは感じとれましたが
まだ元気なので
一年間覚悟してきたはずなのに
まるで実感が湧きません
解散の時間になり
いつも通り
「これが最後かも知れない」
と思いながら父と別れました
後から主人に聞いたのですが
「とりあえず
80歳になる年までがんばれましたね」
と、父と会話をしたそうです
一見、失礼な会話に
聞こえるかも知れませんが
主人はいつも「まずは目先の目標を」
そうやって父を盛り立てくれました
わたしは年頃になると
いずれ来る両親との別れが
とてつもなく恐怖でした
「とりあえず80歳まで元気でいてくれたら」
いつの頃からか
そう思うようになっていました
そんなこと親に言ったことはありませんが
ちゃんと叶えてくれました
来月、父が生きていたら80歳でした
ここまで元気でいてくれたらいいな
と思っていましたが
それは叶わなかったけれど
ちゃんと80歳になる年まで
がんばってくれました
その後も、いつも通り
父とLINEでやりとりをしていました
2023.1.3(画像:父LINE)

「きょうはこれ食べたよ」
「散歩に行ったよ」
このままゆっくりゆっくり
また今年の桜も眺めることができるかな
2023.1.8(亡くなるちょうど一ヶ月前)

ただ、どんどん食べられなくなっていたようで
朝、目覚めて「今食べたいもの」を
母にそっと囁くのが日課だったそうです
この日はおいなりさん
次回のパーティーまで
期間が空くので
一人で実家いってこようかな
そんなことを考えていた矢先
それは突然やってきました
【2023.1.26】
父から
「きのうからベッド生活になりました」
とLINEが来ました
そんなに悪かったの?
こないだ散歩してたじゃん
いつでも覚悟していたくせに
ショックでした
でも、真相はちがったのです
たまたま、その日は
主人が用事があって
実家に行く予定だったので
(だから父も打ち明けたのでしょうね)
父の様子を見てきてくれました
寝たきりになってしまったわけではなく
電動ベッド(レンタル)の上で
生活した方が体への負担が少ないから
という、訪問医師の助言だったそうです
「いつも通り元気だった」と
主人が、ベッドでPC仕事する
父の画像を送ってくれました
なんだー
でも、これが最後でした
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LINEっていいですね
写真も画像もスタンプも
後で見返すと
胸がグッとなりますが
まるでまだ生きているような
瞬時にそのときに
タイムスリップしたような
2023.1.21(画像:父LINE)

父が最後に送ってくれた食事画像
どうしても崎陽軒のお弁当が
食べたかったらしく
買ってきてもらったそう
でも、父・母・叔母・主人・私の
5人のグループLINEで
やりとりをしていたので
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「3」にしかならなくなったとき
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