愛しい父へ5(転移そして再手術)
2月8日に旅立った父の記録前回はこちら 【2020.12.26】この一年、コロナの間は毎月のパーティーも中止にしていたので両親とはメールでのやりとりのみその日もなにげなく父から来たメールを開くとそれは転移そして再手術をする報告でしたきっと、クリスマスがおわるのを待っ ...
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2月8日に旅立った父の記録
前回はこちら
【2020.12.26】
この一年、コロナの間は
毎月のパーティーも中止にしていたので
両親とはメールでのやりとりのみ
その日もなにげなく父から来たメールを開くと
それは
転移そして再手術をする報告でした
きっと、クリスマスがおわるのを
待っていたのでしょう

油断していました
もちろんいつも父の体調を
気かけてはいたけれど
「3年」そして「コロナ」の方に気を取られてしまい
「転移」という二文字が突然に重く感じました
やっぱり癌って転移するのね…
それが、ようやく頭に浮かんだ感想でした
同じころ
わたしも「悪いものかも知れない」
と疑われるものが発見され
父のことはつゆ知らず
母に相談していました
母は、父と娘と
いっぺんに悪い報告が重なり
でも、それを隠しながら
あのコロナ禍で
父の検査に付き添い
わたしを励まし…
わたしは結局
悪いものではありませんでしたが
ガン検診の大切さを学びました
【2021.1.15】
明けて2021年に
二度めの手術
今回は、嘘ではなく
前回のように難しい手術でもなく
ちゃんとみんなに宣言をして…なのに
コロナ禍だったのでたった一人で挑んだ父
頼りは、父と母からのメールのみ
わたしは自宅で祈るだけです

「手術おわったよ」
「今回は退院早そうだよ」
「リハビリ順調だよ」
文章だけでは軽やかに見えますが
手術は手術
大変だったと思います
母は着替えを届けに
毎日病院へ行ってましたが
会わせてもらえないと
嘆いていました
わたしはその年の5月に手術しました
ほんとは父と同じ1月に手術する予定でしたが
立ち合いはできないとは言え
時期をずらしてよかったです
わたしは開腹手術ではなかったのですが
それでも当然
麻酔後の苦しみとリハビリはありました
高齢の父はどれだけ大変だったことでしょう
1月22日に退院し、その日は
「おでんパーティーだよ」
「サプライズで鯛の尾頭付きがあったよ」
とメールが来ました

手術前も面倒なものです
検査、説明、準備…
なん度も病院へ行き
ギリギリまで病院へ行き
加えてPCR検査
父のときもわたしのときも
なかなか厳しいコロナ禍だったので
ここまで準備してもし
自分はもちろん家族、執刀医が感染したり
入院予定の病院でクラスターでも起きたら
今までの努力は全てパーです
でも、父もわたしも
コロナの影響を受けることなく
術後も順調で
相変わらず世間はコロナ禍でしたが
11月にようやくパーティーが再開されました
父の病気、コロナ…
「今、会わないと、もう会えないかも知れない
でも、会って両親に感染させてしまったら…」
そのジレンマの中、一年半過ごしていました
でも、ようやくそれが解放されました
パーティーも再開され
父は順調
わたしも定期的な術後検診がおわり
すべてが元通り…
に、見えたのは表面上だけでした
初回はこちら
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この一年、コロナの間は
毎月のパーティーも中止にしていたので
両親とはメールでのやりとりのみ
その日もなにげなく父から来たメールを開くと
それは
転移そして再手術をする報告でした
きっと、クリスマスがおわるのを
待っていたのでしょう

油断していました
もちろんいつも父の体調を
気かけてはいたけれど
「3年」そして「コロナ」の方に気を取られてしまい
「転移」という二文字が突然に重く感じました
やっぱり癌って転移するのね…
それが、ようやく頭に浮かんだ感想でした
同じころ
わたしも「悪いものかも知れない」
と疑われるものが発見され
父のことはつゆ知らず
母に相談していました
母は、父と娘と
いっぺんに悪い報告が重なり
でも、それを隠しながら
あのコロナ禍で
父の検査に付き添い
わたしを励まし…
わたしは結局
悪いものではありませんでしたが
ガン検診の大切さを学びました
【2021.1.15】
明けて2021年に
二度めの手術
今回は、嘘ではなく
前回のように難しい手術でもなく
ちゃんとみんなに宣言をして…なのに
コロナ禍だったのでたった一人で挑んだ父
頼りは、父と母からのメールのみ
わたしは自宅で祈るだけです

「手術おわったよ」
「今回は退院早そうだよ」
「リハビリ順調だよ」
文章だけでは軽やかに見えますが
手術は手術
大変だったと思います
母は着替えを届けに
毎日病院へ行ってましたが
会わせてもらえないと
嘆いていました
わたしはその年の5月に手術しました
ほんとは父と同じ1月に手術する予定でしたが
立ち合いはできないとは言え
時期をずらしてよかったです
わたしは開腹手術ではなかったのですが
それでも当然
麻酔後の苦しみとリハビリはありました
高齢の父はどれだけ大変だったことでしょう
1月22日に退院し、その日は
「おでんパーティーだよ」
「サプライズで鯛の尾頭付きがあったよ」
とメールが来ました

手術前も面倒なものです
検査、説明、準備…
なん度も病院へ行き
ギリギリまで病院へ行き
加えてPCR検査
父のときもわたしのときも
なかなか厳しいコロナ禍だったので
ここまで準備してもし
自分はもちろん家族、執刀医が感染したり
入院予定の病院でクラスターでも起きたら
今までの努力は全てパーです
でも、父もわたしも
コロナの影響を受けることなく
術後も順調で
相変わらず世間はコロナ禍でしたが
11月にようやくパーティーが再開されました
父の病気、コロナ…
「今、会わないと、もう会えないかも知れない
でも、会って両親に感染させてしまったら…」
そのジレンマの中、一年半過ごしていました
でも、ようやくそれが解放されました
パーティーも再開され
父は順調
わたしも定期的な術後検診がおわり
すべてが元通り…
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