うつくしく ていねいに 暮らす

うつくしく、ていねいに暮らすための 「衣食住」「収納」「断捨離」「整理整頓」「節約」など わがやの暮らしを簡潔な記事でご紹介しています。

タグ:末期癌

2月8日に旅立った父の記録前回はこちら  父は、仕事人間だったけれどグルメで新ものずきで家族がすきでいろんなところへ連れて行くのが生き甲斐でわたしの初めての野球観戦も初めてのフレンチも初めての海外旅行もすべて父が連れて行ってくれましたディズニーランドができた ... 続きを読む
2月8日に旅立った父の記録




前回はこちら
 




父は、仕事人間だったけれど

グルメで新ものずきで家族がすきで

いろんなところへ

連れて行くのが生き甲斐で




わたしの初めての野球観戦も

初めてのフレンチも

初めての海外旅行も

すべて父が連れて行ってくれました




ディズニーランドができた年

わたしは、それがなんなのか

わからないくらい幼かったけれど

父が連れて行ってくれました




父が行きたかったのか

わたしたちを連れて行きたかったのか

どうやって調べたのか

父の方から誘ってきました




わたしはそのときも今でも

特にディズニーがすきな訳ではないですが

そのとき着ていた服も

ミッキーの袋が赤色だったことも

初めて見たパレードのときめきも

今でもはっきり覚えています




日曜日も仕事だったので

小学校の運動会には来なかったけれど

母やこどもたちを楽しませるために

一生懸命働いてくれたのでしょう




チャリ通だった高校時代

雨の日は内緒で車で送ってくれたこと

大学受験のときも

遠い試験会場は父が付き添ってくれました
(合格発表まで代わりに見に行ってくれた)




大人になってからも

酔って電車を乗り過ごしたり

夜遅いバイトだったり

父は怒ったりせずお迎えに来てくれました




たくさん心配かけたけれど

大人になって独立して

今度はだんだん

わたしの方が心配になってきました




病院にかかっているところを見たことがない父

命には関わらないけれど

ちょくちょく病院のお世話になる母

(わたしもそんなタイプ)




てっきり父の方が残されると思っていました




母にベッタリだった父が

ひとりになってしまうなんて

父本人にもだれにも言わなかったけれど

勝手に「うちに来てもらおう」なんて考えていました




うちは部屋数が少ないので
この寝室を使ってもらおうとか
夢物語のように考えていました
寝室
「父が残されたら…」それは
他の人も懸念していたようで
「ちゃんと順番通りだったねー」
なんて話していました




父が亡くなってから

寝室を眺めながら

「それどころか
一度も寝室に入ることすらなかったな」

なんて考えていましたが




あれ?




ううん
このエアコンも姿見も
父がつけてくれたんだった
エアコン&姿見




家の中に入ったのは
確かこれが最後です
もう6年以上前の話

このときに
姿見をつけてもらいました




孫の顔を見せてあげられなかったから

数えるほどしか

わがやに来たことのない父ですが

ちゃんとわがやに爪痕を残していてくれた




シャイなベガにもなつかれていました
ベガ





このときが2017年の1月

病気が発覚したのが2018年の1月

この後も、2021年に荷物だけを届けに

最寄駅まで来てくれましたが




コロナ禍だったので

駅の改札口で数分会話しただけ

痩せてしまって

歩く姿も頼りなくて




もしかしたら

これが最後かも知れないのに

父の背中を見送ることしか

できないのがせつなかったです




でも、その後

会食などの規制が緩和されて

月一の実家パーティーが

再開されて




2023年の新年会まで

一年間、しっかり毎月楽しめたのは

神さまからの最後の

プレゼントだったと思っています




----------------------------------------------------




父もわたしもInstagramを

やっていたのですが

お互い話題にしたことはなく

ある日突然、父からフォローされて




すぐにフォロバし

父の投稿にいいねや

コメントを残したりしたのですが

反応は一切なく




そのまま時は流れ

結局、一度もやりとりのないまま

父は亡くなってしまったのですが

その後、わたしが投稿したとき




ふと、ちょっと前に投稿したものを

振り返っていたのです

いつもはそんなことしないのに

なぜか…




そしたら

1月30日に投稿したものに

父が「いいね」を付けていてくれたことに

気づいたのです




1月30日といえば

もうすでに寝たきりになっていました

きっとスマホをいじることしか

できなかった父




暇過ぎて娘のInstagramを

見ようと思ったのでしょうか

最後に娘のInstagramを見ようと

思ったのでしょうか




そして

なんてことない投稿だったのですが

最初で最後の「いいね」を

しようと思ったのでしょうか




その「いいね」に気づいたのが

亡くなってから一週間後だったのですが

まだ生きていた父の心情を思って

嗚咽が止まりませんでした




と、ここできれいに(?)

おわるつもりだったのですが

今さっき父のアカウントを開いて

「フォロー中」を見ていたら




わたしのもうひとつの

オタクアカウントまで

フォローされていましたー




野球アカウントなんですけど

つらつらとポエムみたいなこと

書いてて、父は読んだのかな

どうしよう恥ずかし過ぎる




もういないからいいか




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2月8日に旅立った父の記録前回はこちら 【2023.2.15】葬儀もおわり初七日は再び実家へ行きましたわたしはいまだに実家近くの美容院へ通っているのですが実は、葬儀の日は美容院を予約していた日で亡くなった日にキャンセルをして初七日の日にちで再予約をしていました最新の ... 続きを読む
2月8日に旅立った父の記録




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【2023.2.15】




葬儀もおわり

初七日は再び実家へ行きました




わたしはいまだに

実家近くの美容院へ通っているのですが

実は、葬儀の日は美容院を予約していた日で

亡くなった日にキャンセルをして

初七日の日にちで再予約をしていました




最新のきれいな格好で

父をお見送りしたかったので

亡くなった日に

その足で行こうかとも思ったのですが

さすがに実父を亡くした日に

なん時間も美容院はきっついです




無事、美容院がおわり実家へ
IMG_0337
お昼をごちそうになりました
母のおうどん
たかが(?)うどんでも本当においしい
母はなにをつくっても「母の味」




このときに

亡くなったときの詳しい様子や

戒名のこと

母の近況を聞きました




母は、悲しみながらもやることがたくさんで

うわさには聞いていましたが

配偶者を亡くすと

手続きが山ほどあるそうです




そして

父は、存命のときに

その予行練習を

母としていたそうです




どんな練習だったのか知りませんが

一度さらっと練習して

秋だか冬だかに再び

「お母さん復習するよー」って

自分が亡くなった後の母のために




それでも予行練習の

なん倍も大変だったそうで

「練習しておいてよかったわー」

と言っていました




美容院のとなりに

銀行や郵便局があるのですが

その日も、美容院の窓越しに

そちらへ向かう母と目が合いました




【2023.3.8】

初めての月命日




【2023.3.18】
 四十九日法要




【2023.4.4】

納骨




納骨してしまうと

寂しいですが

悲しみも、各種儀式も

ひと段落というところでしょうか




遺産手続きの期限が

亡くなってから半年なので

今は、8月8日に向けて

書類を揃えたり忙しくしています(主人が)




主人はそういうのが得意なので

みんなあてにしちゃうんですよね

本人は「得意なわけじゃない」と

言っていますが




父が余命宣告されたときも

亡くなった日も葬儀の日も

その後のもろもろも

機敏で器用で機転が効く




母もおばもすっかり頼りにしていました




父と主人はタイプはちがうけれど

頭がよくて人望があって

頼り甲斐があるところは

そっくりです(関係ないけど大学も同じ)




わたしはその真逆で

いつも不安げに生きてきたけれど

父がいなくなっても

主人がいればだいじょうぶかな




------------------------------------------------




思わぬ長期連載となってしまった

「愛しい父へ」

あと2回でおわらせます




急いでおわらせたい事情があって

駆け足になってしまうけれど

もう充分に記録できました




当初は死に直結する

文字を使うのを躊躇して

濁していたけれど

今はそんなに抵抗がなくなったくらいには

きもちが慣れました




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2月8日に旅立った父の記録前回はこちら  【2023.2.8】時はすこしさかのぼり父が亡くなったときの様子前夜に、父が母を手招きして側に置き一晩中母はそこを離れなかったそうです父にはわかったのでしょうか8日の朝になり母とおばはいつも通り起床し(母は一睡もしていないの ... 続きを読む
2月8日に旅立った父の記録




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【2023.2.8】




時はすこしさかのぼり

父が亡くなったときの様子

前夜に、父が母を手招きして側に置き

一晩中母はそこを離れなかったそうです




父にはわかったのでしょうか




8日の朝になり

母とおばはいつも通り起床し
(母は一睡もしていないのですが)

ラジオ体操をして

朝ごはんを食べ

朝の連続ドラマを観ていました




ドラマがおわったころ

父が「テレビ消して」の

ジェスチャーをしたそうです

ドラマがおわるのを待っていたのでしょうね




つまり

父は最後まで意識があったということ




ドラマをおわったのが7:45

母が「もうだめだ」と

わたしに電話をくれたのが7:50

「息を引き取りました」

と、LINEをくれたのが8:37




あっという間の出来事でしたが

亡くなる直前に

ずっと瞑っていた目を

一瞬カッと見開いたそうです




そして、両手で「バイバイ」の

ジェスチャーをしたそうです

渾身の力を込めて

お別れをしたのでしょうね




自分が死んでゆく感じは

死んでみないとわからないので

死ぬまで一生わからないですが

きっと父にはわかったのでしょう




父が余命宣告をされたとき

「最後は寝たきりになる」

と言われたそうですが

つい先日まで元気だったのに

お医者さまのおっしゃる通りになりました




なんとなくイメージとして

寝たきりになって

本人の意識もなくなってきて

知らぬ間に逝くのかと思っていましたが




父は、最期までこの世を見つめていました




どこかが痛むわけでも

苦しいわけでもなく

自宅で最愛の妻に見守られながら

最期にお別れの儀式までして




なんとも潔い最期でした




余命宣告されてから

一年以上かけて

こういう状態になったので

もしかしたらこのまま

一ヶ月、数ヶ月

生きながらえるのかと思いましたが




寝たきりになってから二週間足らず

レンタルしたポータブルトイレも

用意しておいたおむつもほぼ使うことなく

自宅での介護入浴を利用したのも

結局一回きりでした




本当は亡くなったこの日が

2回めの入浴の日だったので

最後にすっきりさせてあげたかったけれど

母の負担を最小限にして

潔く幕を下ろしました




訪問医師は

二週間に一度の訪問だったのですが

いよいよとなって週に一度になり

前日もいらして

そしてこの日も訪問の予定でしたが

「今日とは思わなかった」そうです




これからは月一のパーティーのとき

もちろん父は食卓にはつけず

ほぼ飲み食いできない父を尻目に

わいわいするのか…?




なんて思っていましたが

父は最後までいっしょに

わいわいできました

できなくなったとき…

潔く去りました




くだらない話で大変恐縮ですが
ネイル
ネイリストさんは父の事情を知っているので
「一番控えめな色にしてください
明日かも知れないし
半年後かも知れないんだけどね」

と伝えて、うすいベージュにしてもらった
翌日に亡くなりました




いつも、ネイルの後

食品や日用品の買出しをするのですが

自分のことも、家のことも

すべて整ったタイミングでした




主婦は、なにが起ころうが

家のこと、家族のことが

最優先ですから

くだらないことだけど大切なんです




悲しみのあと

献立や買物

ベガのごはんを気にすることなく

思い切り父を偲ぶことができました




ベガといえば…




ねこはよく「死の国の遣い」

と言われるほど死に敏感なので

なにか異変を感じて

知らせてくれたりするのかな〜?




なんて思いましたが
そんなことなく
平常運転でした
IMG_2386
ベガもちょっぴり
つらいときでしたが
いい子でお留守番してくれました




よく虫の知らせとか

最期に会いに来てくれたとか

聞きますが

そういうのも一切なく




父とわたしは

ちゃんと最後にお互い後悔なく

お別れをしているので

父も安心して旅立ったのでしょう




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2月8日に旅立った父の記録前回はこちら  【2023.2.8】主人と朝食を食べ主人は歯磨き中わたしは食器洗い中電話が鳴りました時間は7:50わたしの携帯電話の通知を見てくれた主人が「お母さんから」もうわかりましたみんなで集まる予定だった2月11日までもってくれと願っていま ... 続きを読む
2月8日に旅立った父の記録




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【2023.2.8】




主人と朝食を食べ

主人は歯磨き中

わたしは食器洗い中

電話が鳴りました




時間は7:50

わたしの携帯電話の通知を

見てくれた主人が

「お母さんから」




もうわかりました

みんなで集まる予定だった

2月11日までもってくれと

願っていましたが




だめだったかと




「もうだめだから来て」
2月8日7:50母着信
たった2分間の会話
そのうちの1分間は
電話を切るのも忘れて
父の元へ走った母へ
「もしもしお母さん?もしもし?」
と呼びかけていた時間




まだ間に合う




親の死に目ですから

着の身着のままで

家を飛び出すのかも知れませんが

わがやは冷静でした




主人は仕事を休むから

どうしてもやらなきゃいけないことだけ

急ぎ片付けて

そしたら二人で車で向かおうと




こんなとき

二人になにかあってはならないので

「二人いっしょに」

車の方がなにかと動けるとで「車で」




それが主人の判断でした




わたしは洗い物のつづきをして

歯を磨いて

そのとき、携帯電話を見るのが

習慣なのでふとLINEを開くと




<母のLINE>

父あれからすぐ息を引き取りました
先生も間に合いませんでした
だから慌てずに来て下さい




7:50に電話があって

8:37にLINE

本当にあっという間の

できごとだったようです




LINEを見た瞬間「あ…」と

力が抜けかけましたが

だいじょうぶです

「お父さんお疲れさまでした」




母の言う通り

慌てずに冷静に

主人に連絡をし




歯を磨き

洗濯物をたたみ

ベガにごはんとお水をたっぷり用意して

着がえて




急ぎの仕事だけ片付けて帰ってきた主人と

10時には家を出て

コンビニでコーヒーと甘いのを買って

主人と談笑しながら




まるで楽しいドライブかのように

もう父のいない実家へ向かいました




ちょうどお昼くらいに着きました




家族の遺体と対面するのは

はじめてだったからか

悲しみよりも緊張していました

母とおばに挨拶をしてから




ゆっくりゆっくり

リビングの真ん中に

横たわる父に近づきます




土色になってもう動かない父

わたしは泣き崩れるわけでもなく

「わーもう動かないんだ」みたいな

ふしぎな心境でした




手を洗ってから

お線香をあげ

手を合わせ

改めて「お父さんお疲れさまでした」




毎日飲んでいたお茶と
最後まで飲んでいたシードルとコーラ
「もう自由なんだからビールも置こうよ」
後からだいすきなスーパードライも置きました
IMG_1780
右上のものが最後に父に贈った梨
メロンのように大きくてびっくり
父は一度では食べきれず
残ったものを母が食べさせてくれました




「お父さんに触るの怖い」と言ったら

「いっぱい触ってあげて」と母

痩けてしまった頬に触れるのは

なんだか申し訳なくて

額に手を置きました




すごく冷たいわけでもなく

でも、もう温もりのない父




こんなときでもお昼を用意してくれた母
このとき既に父のことを
ブログに残そうと決めていたので
いちいち写真を撮りました
IMG_0253
ランチによくつくってくれた母の味
インスタント麺なんですけど
「その辺のヘタなラーメン屋よりおいしい」
と、父がよく言っていました




話は葬儀のことへ

父の遺言は「密葬」でした

コロナがなければ

そんな発想はなかったかも知れません




父は、現役バリバリではないものの

まだ仕事の繋がりもあり

顔も広く、人望は厚く…

本来なら盛大にお見送りしたかったですが




母は「ゆっくりお見送りができる」

と感謝していました

わたしも同じ想いでした




葬儀のバタバタがあるから

遺族の悲しみが少し紛れるし

以前までのわたしは

「そういう意味でも葬儀は必要な儀式なんだ」

と思っていましたが




今この状況で

葬儀の打ち合わせや

遠方から来る親戚や知人の

対応なんてとても無理でした




ことばは大変失礼ですが

密葬は本当に「楽ちん」です

通夜もなし遺影もなし

花や食事など、なんにも決める必要なし




それでも、その日のうちに

葬儀屋さんは2回来ました

亡くなってすぐお線香など周りを整え

2回めは、主人もわたしも居たので同席しました




30分くらい話したでしょうか

今後の段取りや確認そして見積もり

なにもない密葬でも

ある程度の打ち合わせはあります




その葬儀屋さんは

わたしが小学校へ通う通学路にあり

こどもごころに「なに屋さんだろう?」

と、すごく印象に残っているところでした




家族はずっとその地に暮らしていたので

当たり前と言えば当たり前なのですが

なん十年の時を経て

今こうしてお世話になるとは

ふしぎなえにしを感じました




それから数時間が経ち

やっと姉が来ました

わたしは前回の記述の通り

冷静な姉を想定していたので




いつも通り

「おねえちゃんやっほー」
(父親が亡くなったというのに)

みたいなノリで出迎えました




ところが

姉の様子が変でした

目がうつろで

わたしに対して無反応




ふらふらと

リビングに入った途端

泣き崩れました

まだ父の遺体は遠くにあるのに




よくメディアは

「号泣」というワードを

簡単に使いますが

号泣とは、こうゆうことを言うのだと




終始「わたしは平気よ」

みたいな態度だったのに

聞いてないよ

ズルいよおねえちゃん




こんな姉を見るのは初めてでした

母と抱き合って泣き叫ぶ姉

わたしもようやく

便乗して思い切り泣いたような気がします




人の心は本当にわからないものです

例え家族でも…




姉は、葬儀がおわった後も

わたしよりずっと引きずっていて

ことあるごとに泣いていたようで

父の写真など見るのも拒んでいました




その後、実家へ行った際も

泣いてしまった話を

母から聞き

「あの子は意外と脆いのよ」と…




知りませんでした

なん十年も姉妹だったのに

いつもわたしの盾となってくれた姉

本当はわたしより脆かった




ひとしきり泣いた後

父が食べ残した梨を食べながら

いつも通り楽しく(?)過ごし

その日は解散しました




-----------------------------------------------------




父の最期の様子は

だいぶん時間が経ってから

母に聞きました




すこし生々しいかも知れませんが

忘れたくないので

次回、書き記したいと思います




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2月8日に旅立った父の記録前回はこちら 【2023.2.6】父が亡くなるわずか二日前の話主人は元気だった最後の父に会いめいっこは最後のおじいちゃんに会いわたしも最後の父に会えたあとは、わたしの姉です2月11日に実家でパーティーの予定だったので姉はそのとき会えるからとお ... 続きを読む
2月8日に旅立った父の記録




前回はこちら






【2023.2.6】




父が亡くなるわずか二日前の話




主人は元気だった最後の父に会い

めいっこは最後のおじいちゃんに会い

わたしも最後の父に会えた

あとは、わたしの姉です




2月11日に実家でパーティーの予定だったので

姉はそのとき会えるからと

お見舞いは行かない様子でした

わたしもそれで納得していました




なぜかというと

いつだかのパーティーの帰り道

姉は「わたしは覚悟できてるから

後悔はないんだー」と話していたからです




画像:父LINEより
IMG_1111
あまりビールを飲めなくなったとき
このシードルを送ったら
気に入ってくれて
最後まで飲んでました





父と姉、父とわたし

当たり前なのかも知れませんが

ちょっと(だいぶん?)

関係性にちがいがあり




わたしが「おとうさんベッタベタ」で

父もわたしに甘かったのですが

姉に対しては、わたしには見せなかった

クールな一面もあったようです




でも、もちろん最後にわが娘の顔を

見たいだろうと、わたしの本音は

できれば姉にも

お見舞いに行って欲しかったのです




でも、姉が自分で言っていましたが

「父親譲りの頑固者」なので

きっとわたしが促しても行かないだろうと

特に姉に本音を言うことはありませんでした




そのことを主人に話したのです

愚痴でもなく

悪口でもなく

ただの世間話の延長のような感じで




でも、わたしの話し方が悪かったようで

主人を怒らせてしまいました

「人には人それぞれ考え方があるんだ!」と

わたしを強く突き飛ばしました




夕食時だったので

大事にだいじに使っていた

父のお味噌でつくったお味噌汁は

ぐちゃぐちゃになり




わたしは

後頭部を壁にぶつけてしまいました

父が最後に撫でてくれた後頭部の感触が

痛みへと変わっていきました




画像:父LINEより
IMG_1105
素人の手前味噌ですが
とってもおいしかった父のお味噌
亡くなった後も
しばらくお味噌だけ残っていました





わたしは、父がいなくなるのは

もちろん恐怖でしたが

今のわたしには家庭がある

主人とベガがいれば乗り切れる




そう思っていましたが

父が亡くなろうというそのとき

一番頼りにしていた人と

関係が壊れてしまいました




父には「わたし幸せだったよ」

という意を込めて

「ありがとう」と最後に

なん度も伝えましたが




「お父さん

わたしやっぱり幸せになれなかったよ」




朦朧とする意識の中で

その言葉だけが

痛む頭にずっと響いていました




最後に父に会い

すごく幸せなきもちで

見送ることができると思っていたのですが

こんな状況でそのときを待つのか…




父に申し訳ないきもちでいっぱいでした




すると別件で、ひさびさに

姉からメールが来ました

やっぱり姉妹ですね

妹の危機を感じとったのでしょうか




事の一部始終は話していませんが

わたしは後ろめたさもあったので

主人に怒られてしまった件と

姉に謝罪をしました




そこで敢えて一度だけ

「お父さんに会わなくていいの?」

と聞きました

答えはやはり予想通りだったので

それ以上はなにも言いませんでした




この一件は後に

主人が言っていたことが

正しかったのだと

思い知らされることになりました




-----------------------------------------------------------




父のことがあって

改めて夫婦って

おもしろい関係だなあと

思いました




血は繋がっていないけれど

一番近い人

自分の分身

まさに伴侶




父のことは、血を分けた娘より

母が一番悲しんでいました

立ち直るまで

わたしのなん倍も

時間を要したと思います




画像:父LINEより
IMG_1112
母のおにぎりは
三角ではなくて丸
わたしはずっとこの
丸いおにぎりで育ちました





わたしも、今更

親兄弟に見せられない醜い姿も

唯一、主人にだったら

見せられます




一番リラックスできる相手

なんでも話せる関係

だから時に

ぶつかってしまうこともあるけれど




それが

人生を共に歩むことを覚悟した相手




わたし自身は

大した親孝行はできなかったけれど




わたしの両親は

主人のことをとても信頼しているので

主人のような人と結婚したことが

一番の親孝行だったと思っています




こんなことがあると

「あんたのことなんて看取ってやるもんか!」

なんて思ってしまうけれど

やっぱりわたしの唯一のツガイです
(その日のうちに謝ってきました)




今日は、父の月命日




お父さん

わたしちゃんと幸せです




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2月8日に旅立った父の記録前回はこちら【2023.2.2】父と最後の対面の日前日のめいっこのようにいっしょに写真撮りたいなあと思っていたのですが言い出せずすると父の方から「自撮りをお願いします」とわたしは涙を拭いて精一杯の笑顔で撮りました「父娘の最後の写真」父はず ... 続きを読む
2月8日に旅立った父の記録




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【2023.2.2】




父と最後の対面の日




前日のめいっこのように

いっしょに写真撮りたいなあ

と思っていたのですが

言い出せず




すると

父の方から「自撮りをお願いします」と

わたしは涙を拭いて

精一杯の笑顔で撮りました




「父娘の最後の写真」




父はずっと「ガンは幸せな病気なんだよ」

と言っていました
(そういうタイトルの本もありますよね)

わたしもそう思います




もちろん

闘病は本人も周りもつらいですが

お別れの準備ができます

一年かけてお別れの準備をしてきました




「最後の誕生日」

「最後の対面」

「最後の写真」

「最後の言葉」




「最後かも知れない」という気持ちで

お別れができるということは

本当に幸せなことです




父が「何時までいられるの?」と

こんなときまで

ベガのことを気にかけてくれたのか




わたしは名残惜しくも

あまり長時間は家を空けられません

いよいよお別れです




もちろん

11日はパーティーの約束でしたし

また次に会えることを願って




でも、最後かも知れないので

たくさん抱き締めて

たくさん「ありがとう」と言いました




すると、父の手がわたしの後頭部に触れ

頭を撫でてくれました




きっと、わたしが幼ないころは

たくさん頭を撫でてくれたのでしょうが

記憶にはありません

「最初で最後の」いいこいいこ




「11日に絶対会おうね!」

これがわたしが父に掛けた

最後の言葉でした




わずか、3時間足らずの

対面だったと思います

ベガのことがなければ

もっとじっくりお別れが

できたかも知れないけれど




これでよかったのだと思います

最後も、いつまでも父から離れないわたしに

母が「キリがないよ」と

引き離してくれました




ベガのことも心配だったので

そのお陰で悲しみが分散されて

かえって救われた気がします




今度はベガの番

「どうか無事でいて」

父に想いを馳せながらも

足は家路へと急ぎます




「ベガ!ごめんねごめんね」

てっきり横になっているかと思ったら

いなかったので

「え!」と辺りを見回したらいました




キャットタワーに移動しており
ほっとひと安心
遠くからそっと画像を撮り
みんなに無事をお知らせしました
IMG_1595
【余談】ベガのことについて
なん度か、病院に行った日は
ぐったりしてしまうことがあったのですが
たまたま前日が病院の日だったもので
その症状(?多分精神的なものだと思うのですが…)
が出てしまい、その後すぐ回復しました
それ以来、今のところ病院へ行っても
その症状はなく、元気にしてます




最近、ベガの体調不良の記事も続いていますが
今は本当に元気です
食欲も旺盛で遊んだり甘えたり
ふつうのにゃんこ生活を送っています






その日、母が持たせてくれたもの
父が作ったお味噌とたくあん
梅干しは作れなくなってしまったので
父が元気なときにポチったものだそう
IMG_3791
最後の父の味
大事に大事にいただきました
父が亡くなった後も食べるのはつらいなあと
思いましたが、少しずついただきました




それからわたしは

季節外れの「梨」を探しました 

父が食べたいと言い

母が「この時期はないわよ」となだめたら




「食べられるものがないっつってんだろっ」




わー

ひさびさに聞いた父節

かすれ声なのに

思わずビクッとなるほど恐ろしい




父は、娘たちや周りの人には

とっても穏やかな人でしたが

母にだけは怒鳴ることがあり

それがまた迫力満点なんです
(ふだん怒らない人ほど…ってやつですね)




わたしが嫁いでからは

「おかあさん、おかあさん」て

すっかりデレデレの

おかあさんだいすき人間になっていましたが




自由がきかなくなった体に

苛立っていたのでしょう




母は、慣れている感じでしたが

こんなに甲斐甲斐しくお世話しているのに

父のきもちもわかりますが

やるせないですよね




でも、父と最後の会話をしているときに

「お母さんでよかったね」

「こんなに献身的な人いないよ」

などと話したら




父は目を瞑りながら

(うん)(うん)と

噛み締めるようにうなずいていました




なので

父のためにも

母のためにも

なんとしても梨を探さねば!




そうしたら、意外にも

ネットにはたくさんありました

季節外れの梨




決してお安いお値段ではないのですが

わたしと同じ「病床の父が」や

「妊娠中の妻がどうしても」など

季節外れの梨に感謝の声がたくさんでした




遠方ですし

注文があってからの収穫なので

間に合うかわかりませんが

急いでくれとも言えず




「病床の父がどうしても食べたいとのことで
間に合うことを祈っております」




と、備考欄に書いて注文したら

「なるべく急ぎます」と

わざわざメッセージをくださいました




翌日、節分の日




母から

「恵方巻きとショットグラスにビール一杯飲んだよ」

と、LINEが来ました

まだ元気なときに

父自身が選んだ恵方巻きだったようです




このまま、またゆっくり

少しずつすこしずつ

衰えていくのかな

とも思っていました




それから程なくして

父からLINEが来ました

「梨が届いた」と




よほど急いでくださったのでしょう

父を見舞った2日の夕方に注文し

4日の夜には「食べたよ」と…
後からストアにはお礼を兼ねて
レビューを書かせていただきました





父自身が撮影したようです
20230204送った梨(父撮影)
寝たきりになってからは
一言だけのLINEだったのに
文章で、画像も添付して…
これが父からの最後のLINEとなりました




いよいよ最期のとき

そんなとき

わがやに波乱が起きました




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2月8日に旅立った父の記録前回はこちら  【2023.1.26】主人が実家を訪問し父は元気だったと教えてくれた夜仕事のことで伝えることがあって主人が父へLINEしたのですが割とリアクションの早い父なのに返信がありませんでした疲れて寝ちゃったのかな?【2023.1.30】母からの着 ... 続きを読む
2月8日に旅立った父の記録




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【2023.1.26】




主人が実家を訪問し

父は元気だったと

教えてくれた夜




仕事のことで伝えることがあって

主人が父へLINEしたのですが

割とリアクションの早い父なのに

返信がありませんでした




疲れて寝ちゃったのかな?




【2023.1.30】




母からの着信
IMG_1555





ふだん母から電話が

かかってくることはないので

嫌な予感しかしませんでした




母は泣きながら

ほんとうに寝たきりになってしまった

ことを伝えてきました




主人が帰った後

父はよろよろでなんとかお風呂に入り

それきり

ほとんど食べられず

トイレも自力では無理になったそうです




「今すぐ行く」と言ったのですが

もともと2月2日に訪問する予定だったので

予定通り、そのまま電話を切りました




ベッド生活に入ってわずか数日の出来事




お医者様の勘で

「そろそろ」と思ったのか

ベッド生活になってしまって

頭が終わりだと思い込んでしまったのか




一番驚いたのは主人です

「だって元気だったよ?」

「仕事していっしょにカステラ食べたんだよ」




ずっと見てきた母ですら

あっという間の出来事だったそうで

主人が動揺するのも無理はないです




【2023.2.1】




わたしが実家訪問する予定の前日

この日は

めいっこがもともと訪問する日だったそうで

これが「最後のおじいちゃん」




訪問を約束したときは

こんな状態とは

予想していなかったことでしょう

もう数日待ってくれていたら…




でも、この日を設けていなかったら

会えなかったかも知れないので

神様が作ってくれた最後の時間




途中、父とめいっこの自撮りが

送られてきました




めいっこはたくさん泣いたそうですが

とってもいい笑顔

父は…今まで見てきた

「痩せてしまった父」とはまたちがう

さらに一段と…もう人間の最後の姿




【2023.2.2】




いよいよ、わたしが訪問する日




母の電話があってから

毎日まいにち

「なんとか訪問する日までもってくれ」

神棚にお願いしていました




ああ、神様ありがとう
317b53c2
と、思ったのに!




前の晩に、お猫様が

調子悪くなってしまいました

さっきまで元気だったの

なんというタイミング




奇しくも神棚に横たわる黒猫様は

昨年の父の誕生日パーティーの日に

実家からもらったもの

ベガが身代わりになってくれたのでしょうか




いや、でもそしたら

ベガを置いてお見舞いに行けないんだよ

よく、お子さんがいる人が

「お出かけの時に限って熱出す」と

言っていたのがよくわかりました




「行けないかも知れない」

と母にLINEをしました

父と母のことを思うと

もうなんともやるせないきもち




せっかく、この日までもったのに




が、翌朝なんとか数時間なら

ベガをひとりにしても平気そうな

状態になっていたので

急ぎ用意をしやっと念願の実家へ




父は、リビングの

パーテーションの向こうにいました

主人が来たときに

いろいろ配置転換したようで




ベッドの上でも仕事ができるように

ベッド用のディスクも追加レンタルしてあり

プリンタも移動してあったのに

もうそこには起き上がることもできない

父の姿がありました




新年会のときよりさらに

かすれた声で

なにか言葉を交わしたはずなのですが

覚えていません




忘れないよう

ブログに残そうと思ったのに

もう忘れちゃいました




そして、みんなでランチをしました
母が作ってくれたサンドイッチ
サンドイッチを用意している母を見たとき
「ああ、無理してでも来てよかった」と思いました
20230202お見舞い
幼いころから慣れ親しんだ母の味
今こうして
最後の父を眺めながら食べることになるとは
一生忘れらない味




父は、本当にちいさなサンドイッチのかけらと

コーヒーをなん口か飲んでいました

自分では食べられないので

母に口に運んでもらいながら




それでも、だいすきなコーヒーは

飲みたいんだなとうれしく思いました

たまに「コーラ」とも言い

母が飲みかけのペットボトルを

慣れた手つきで飲ませていました




そのうち「トイレ」と…




わたしは席を外そうとしました

でも、母が「ともちゃん手伝って」と

「ええ〜」嫌とかそうゆうことでなく




見ていいものなのか

なにをどう手伝ったらいいのか…

正直動揺しかありませんでした




父は、 わたしがいようが

お構いなしで下着をずるんっと脱ぎ

ああ、もうそういうことじゃないんだな

ベガが膀胱炎になったとき感じましたが
(いっしょになんてしちゃってすみません)











生きていれば

必ずついてまわる排泄は

恥も外聞も関係ない

食べること以上に必死です




母は大きなポータブルトイレを

ベッドの横に設置し

父が移動するのを手伝います

わたしも言われるがまま手伝うのですが




痩せ細った父の体に触れるのが怖くて

どれくらい力を入れていいものなのか

わからず

恐る恐る父に触れます




なんとか父は用を足し

また父がベッドに戻るとき

母が「よかったねーお父さん

娘に手伝ってもらってよかったねー」

としきりに言うので




「え、そういうものなのか」

席を外そうとした自分を恥じました

「それならば!」恐る恐るだった手に

グッと力を入れて父を強く抱き抱え

元の位置に戻しました




「こんなとき介護の資格があったらな」

と思いました

職業にするかはさておき

親、配偶者、道行く困ってる人…

サッと手を差し伸べることができます




余談ですが

かつて、車椅子から落ちてしまった女性と

また別の日に父と同じくらいの男性が

転んでしまったところに遭遇し




手を差し伸べたものの

どうやって起こせばいいのかわからず

結局周りの人に手伝ってもらったのですが

そのときも介護の資格が頭をよぎりました




このときの父も

介護の方に大変お世話になりました

訪問医師と看護師さんの他に

定期的に介護士さんが
(正確には看護師さんだったかな?)




父の爪を切ってくれたり

アロマオイルで

頭やむくんでしまった足を

マッサージしてくれたそうです




今の介護士さんて

そんなことまでしてくれるんだー!

感動しました




めいっこの訪問の前

また別の介護士さんたちに

お風呂にも入れてもらったそうで




3人の「お風呂部隊」が

部屋の中にサッとお風呂を設置して

父を入れてくださったそうで

父は「きもちいい」を連発していたそうです




ポータブルトイレなどは

父がまだ元気なときに

自分で用意していたそうで
(ぜんぜん知りませんでした)

父は、自宅で乗り切る覚悟だったのですね




母や元看護師のおばの協力ももちろんですが

たくさんの専門の方々がいらっしゃって

そして、今の進んだ介護システムのお陰で

父の希望を叶えることができました




そして、いよいよ

父との最後の会話ですが

長くなってしまったので

次回に持ち越します




「愛しい父へ」こんなに長くなる

予定ではなかったのですが…

⑩くらいでおわらせるつもりだったんですけど

無駄に長くなってしまいました




もし、お読みくださってる方が

いらっしゃるのなら

ありがとうございます

あともう少しだけ

お付き合いいただければ幸いです




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2月8日に旅立った父の記録前回はこちら 【2023.1.1】昨年の元旦にみんなに余命を宣告してからちょうど一年この日が、8人で最後のパーティーとなりました いつもは夕方から夜にかけて催されるパーティーですが年に一度、新年会だけは朝から実家にいます最後の日を充分に堪能で ... 続きを読む
2月8日に旅立った父の記録




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【2023.1.1】




昨年の元旦に

みんなに余命を宣告してから

ちょうど一年

この日が、8人で最後のパーティーとなりました






いつもは夕方から夜にかけて

催されるパーティーですが

年に一度、新年会だけは

朝から実家にいます




最後の日を

充分に堪能できた一日でした




わたしが知ってる父よりは

痩せてしまっているけれど

いつも通り、伊達巻をつくったり

おせちの準備をしていました




父の手書きの箸袋も恒例(画像:父LINE)
20221228
ひとりひとりにメッセージまで書いてくれます




ただひとつ

クリスマスパーティーのときには

感じなかった異変を感じました

「声がしゃがれてる…?」




一ヶ月に一度

少しずつすこしずつ

衰えてはいたのだろうけど

初めてはっきり感じとった異変でした




でも、いつも通り

みんなと食卓につき乾杯し

「今年もよろしく」

食事もお酒もいただいていました
IMG_0024





すると

突然、歌い出したのです

「陽気なおとうさんなのね」

と思われるでしょうが




父は絶対に歌わない人でした

みんなでカラオケに行って

どんなに盛り上げても

歌ってくれませんでした




そんな父が自ら

しかもアカペラで




石原裕次郎さんの歌でした

目を瞑り

懐かしむように…

それを見た母が泣いていました




そのときが近いんだな




それは感じとれましたが

まだ元気なので

一年間覚悟してきたはずなのに

まるで実感が湧きません




解散の時間になり

いつも通り

「これが最後かも知れない」

と思いながら父と別れました




後から主人に聞いたのですが

「とりあえず

80歳になる年までがんばれましたね」 

と、父と会話をしたそうです




一見、失礼な会話に

聞こえるかも知れませんが

主人はいつも「まずは目先の目標を」

そうやって父を盛り立てくれました




わたしは年頃になると

いずれ来る両親との別れが

とてつもなく恐怖でした

「とりあえず80歳まで元気でいてくれたら」




いつの頃からか

そう思うようになっていました

そんなこと親に言ったことはありませんが

ちゃんと叶えてくれました




来月、父が生きていたら80歳でした

ここまで元気でいてくれたらいいな

と思っていましたが

それは叶わなかったけれど




ちゃんと80歳になる年まで

がんばってくれました




その後も、いつも通り

父とLINEでやりとりをしていました




2023.1.3(画像:父LINE)
20230103
「きょうはこれ食べたよ」
「散歩に行ったよ」




このままゆっくりゆっくり

また今年の桜も眺めることができるかな




2023.1.8(亡くなるちょうど一ヶ月前)
20230108
ただ、どんどん食べられなくなっていたようで
朝、目覚めて「今食べたいもの」を
母にそっと囁くのが日課だったそうです
この日はおいなりさん




次回のパーティーまで

期間が空くので

一人で実家いってこようかな




そんなことを考えていた矢先

それは突然やってきました




【2023.1.26】




父から

「きのうからベッド生活になりました」

とLINEが来ました




そんなに悪かったの?

こないだ散歩してたじゃん

いつでも覚悟していたくせに

ショックでした




でも、真相はちがったのです




たまたま、その日は

主人が用事があって

実家に行く予定だったので
(だから父も打ち明けたのでしょうね)

父の様子を見てきてくれました




寝たきりになってしまったわけではなく

電動ベッド(レンタル)の上で

生活した方が体への負担が少ないから

という、訪問医師の助言だったそうです




「いつも通り元気だった」と

主人が、ベッドでPC仕事する

父の画像を送ってくれました




なんだー




でも、これが最後でした




---------------------------------------------------------




LINEっていいですね




写真も画像もスタンプも

後で見返すと

胸がグッとなりますが

まるでまだ生きているような




瞬時にそのときに

タイムスリップしたような




2023.1.21(画像:父LINE)
20230121
父が最後に送ってくれた食事画像
どうしても崎陽軒のお弁当が
食べたかったらしく
買ってきてもらったそう




でも、父・母・叔母・主人・私の

5人のグループLINEで

やりとりをしていたので

いつも既読が「4」と付くのですが




もう何度送っても

「3」にしかならなくなったとき

すぐさま現実に引き戻されました




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2月8日に旅立った父の記録前回はこちら 【2018.2.3】手術を控えた父のお見舞いに行きました人生で初の「父のお見舞い」検査着を着て健気にこなしていました「甘いのが食べたい」と言うのでいろんな甘いのを持って行きましたが実際には手術前後の食事制限が想像より厳しく…気 ... 続きを読む
2月8日に旅立った父の記録




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【2018.2.3】




手術を控えた父のお見舞いに行きました

人生で初の「父のお見舞い」

検査着を着て

健気にこなしていました




「甘いのが食べたい」と言うので
いろんな甘いのを持って行きましたが
実際には手術前後の食事制限が
想像より厳しく…気持ちは食べたかったんだよね

スイーツ





帰りにエントランスまで

送ってくれたので

父とふたりで

記念撮影をしました




その写真が5年後

奇しくも

わたしが父へ送った

最後の画像となりました




父とはずっと

最期まで

LINEでやりとりをしていました

ただ、段々と返信がなくなってきたので




スマホを操作するのもつらいのだろうと

送信を控えていたのですが

この最期のときに

娘として無言というのもな…




そこで「写真だけ送ろう」と

父が返信に気を遣わないで済むよう

写真と一言だけメッセージを…




その第一弾に選んだのが

5年前、人生で初めての「父親のお見舞い」の日

その父と二人きりで撮った写真でした




なにもそんな病院の写真なんて…

と思われるかも知れませんが

父娘のツーショットって

なかなかないもので




父はまだふっくらとしていて

とてもいい笑顔で

これも父との「いい思い出」です

「がんばって」と一言だけ添えて送りました




よしよし

明日はなんの写真を送ろうかな

送りたい画像たくさんあるな

いろんな思い出を頭の中が駆け巡っていました




そして、その翌朝旅立ちました




わたしの名案は

たった一度で終了しました




【2018.2.5】




この日が、父の人生初の手術でした

今思えば

亡くなるほんとにちょうど5年前




当然立ち会うつもりでした

が、やんわり断られました

「5時間くらいの簡単な手術」

と聞いていたので




「立ち会うほど大袈裟なものでないのかな?」

くらいに解釈しましたが

どんな場合でも全身麻酔は怖いですし

手術が始まる時間は自宅で祈っていました




朝の9時過ぎに始まった手術

お昼過ぎには「おわったよ」と連絡が入るかな?

と呑気に構えていたら

だれからもなにも連絡がない




お昼はとうに過ぎ

母にメールしても返信がない

夕方になってやっと返信

おわった!?




(予想より長くかかっちゃったのかな)

すっかりおわったメールかと思って見たら

「難しい場所なのでもう少し時間をください」

と言われたと…母




そ、そっかそっか

神様、お医者様

焦らなくいいので

どうか父を無事に返してください(焦り)




この日の母とのやりとり

20180205母メール





その日は、仕事帰りの主人と

夜のジムへ行く日だったので

予定通り行きました




「さすがに帰ってきたら返信あるよね〜」

なんて話していたのに

帰ってもなんの通知もない

この時点でもう21時をまわっていました




5時間でおわると聞いていた手術が12時間…?

憔悴しているであろう母へ

なん度も連絡するのは申し訳ないけれど

連絡しないわけにいかない




その後、22時をまわってやっと

「おわった」とメールがありました

「今からタクシーで帰ります」

とメールが来たのが23時




やっぱり行けばよかった

と思いましたが

ずっとおば(母の姉)が付き添ってくれたので

正直「助かった」と拝みました




【2018.2.20】




その後は順調に回復し

術後のお見舞いに

主人と訪れました

すっかり安心して随分のんきな記事です






3月6日に退院しているのですが

この後、入院するのは

もうコロナ禍の後のことなので

これが父の最後のお見舞いとなりました




きょうで悲しい2月はおわり

まだ時折、涙を流すことはありますが

悲しい涙ではなく

どちらかというと温かい涙に変わりました




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父へたくさんの弔いありがとうございました  このブログの愛読者であった父へのわたしからの哀悼の意味を込めて父の最後の5年間を記録したく何回かに分けて記事にしたいと思います退屈な内容になってしまうかも知れませんがもし、どなたかのお役に立てば…もし、お付き合い ... 続きを読む
父へたくさんの弔い

ありがとうございました
 





このブログの愛読者であった父への

わたしからの哀悼の意味を込めて

父の最後の5年間を記録したく

何回かに分けて記事にしたいと思います




退屈な内容になってしまうかも知れませんが

もし、どなたかのお役に立てば…

もし、お付き合いくださる方が

いらっしゃれば幸いです




【2018.1.25 】




今からちょうど5年前

わたしは、実家を出てからも

今でもずっと地元の美容院へ通っています




平日の昼間に地元へ行き

親とランチして美容院へ

それが当時のルーティンでした




その約束は母とするのですが

だいたい、父もくっ付いてきます

この日もてっきり

父もいっしょだと思っていたのですが




待ち合わせ場所には母だけ




「あら、めずらしい」と思いつつ

母とふたりで行きつけのお店へ

しばらく談笑していると

急に母が「お父さん入院してるの」と…




父ともなん度か行ったことのある
おうどん屋さん
2021年10月18日にも今度こそ3人で
リベンジに行ってます

鍋やきうどん





この後、いくどか

ショックな出来事があるのですが

このときが一番不安で

衝撃だったと思います




これがその日の淡々とした記事
ギャグ(?)を言う余裕はあったみたいです







 両親共、いつなにがあっても

おかしくない年齢ではありましたが

父はまだ現役バリバリで働いており

だいすきなゴルフやお酒…




体格もよくて元気な人でした

父が寝込んだり

通院している記憶がありません




この後、手術をすることになるのですが

たびたび

「(その年齢で)入院も手術も初めてなの!?」

と驚かれたそうです




それくらい病気とは無縁の父でした

母からは「検査入院」と聞き

少し安心して帰宅しましたが

その夜はずっと眠れず




父と過ごした思い出の家が

ずっと頭の中をぐるぐるして

目をつむっていても

自然と涙があふれてきました




当時はLINEではなく
メールでやりとりをしていたのですが
まだ残ってました!
翌日ずっと父とやり取りしていた様です


20180226メール





その後、父から説明のメールが来ました

病気ではなく

ちょっと都合が悪い部分を

取り除く手術をするのだと…




「よかったー」安堵と喜びでいっぱいでしたが

その後の母の様子を見て

娘として少し異変を感じていました

それは父のやさしい嘘だったのです




次回はこちら





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