愛しい父へ14(最期の時)
2月8日に旅立った父の記録前回はこちら 【2023.2.8】時はすこしさかのぼり父が亡くなったときの様子前夜に、父が母を手招きして側に置き一晩中母はそこを離れなかったそうです父にはわかったのでしょうか8日の朝になり母とおばはいつも通り起床し(母は一睡もしていないの ...
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2月8日に旅立った父の記録
前回はこちら
【2023.2.8】
時はすこしさかのぼり
父が亡くなったときの様子
前夜に、父が母を手招きして側に置き
一晩中母はそこを離れなかったそうです
父にはわかったのでしょうか
8日の朝になり
母とおばはいつも通り起床し
(母は一睡もしていないのですが)
ラジオ体操をして
朝ごはんを食べ
朝の連続ドラマを観ていました
ドラマがおわったころ
父が「テレビ消して」の
ジェスチャーをしたそうです
ドラマがおわるのを待っていたのでしょうね
つまり
父は最後まで意識があったということ
ドラマをおわったのが7:45
母が「もうだめだ」と
わたしに電話をくれたのが7:50
「息を引き取りました」
と、LINEをくれたのが8:37
あっという間の出来事でしたが
亡くなる直前に
ずっと瞑っていた目を
一瞬カッと見開いたそうです
そして、両手で「バイバイ」の
ジェスチャーをしたそうです
渾身の力を込めて
お別れをしたのでしょうね
自分が死んでゆく感じは
死んでみないとわからないので
死ぬまで一生わからないですが
きっと父にはわかったのでしょう
父が余命宣告をされたとき
「最後は寝たきりになる」
と言われたそうですが
つい先日まで元気だったのに
お医者さまのおっしゃる通りになりました
なんとなくイメージとして
寝たきりになって
本人の意識もなくなってきて
知らぬ間に逝くのかと思っていましたが
父は、最期までこの世を見つめていました
どこかが痛むわけでも
苦しいわけでもなく
自宅で最愛の妻に見守られながら
最期にお別れの儀式までして
なんとも潔い最期でした
余命宣告されてから
一年以上かけて
こういう状態になったので
もしかしたらこのまま
一ヶ月、数ヶ月
生きながらえるのかと思いましたが
寝たきりになってから二週間足らず
レンタルしたポータブルトイレも
用意しておいたおむつもほぼ使うことなく
自宅での介護入浴を利用したのも
結局一回きりでした
本当は亡くなったこの日が
2回めの入浴の日だったので
最後にすっきりさせてあげたかったけれど
母の負担を最小限にして
潔く幕を下ろしました
訪問医師は
二週間に一度の訪問だったのですが
いよいよとなって週に一度になり
前日もいらして
そしてこの日も訪問の予定でしたが
「今日とは思わなかった」そうです
これからは月一のパーティーのとき
もちろん父は食卓にはつけず
ほぼ飲み食いできない父を尻目に
わいわいするのか…?
なんて思っていましたが
父は最後までいっしょに
わいわいできました
できなくなったとき…
潔く去りました
くだらない話で大変恐縮ですが

ネイリストさんは父の事情を知っているので
「一番控えめな色にしてください
明日かも知れないし
半年後かも知れないんだけどね」
と伝えて、うすいベージュにしてもらった
翌日に亡くなりました
いつも、ネイルの後
食品や日用品の買出しをするのですが
自分のことも、家のことも
すべて整ったタイミングでした
主婦は、なにが起ころうが
家のこと、家族のことが
最優先ですから
くだらないことだけど大切なんです
悲しみのあと
献立や買物
ベガのごはんを気にすることなく
思い切り父を偲ぶことができました
ベガといえば…
ねこはよく「死の国の遣い」
と言われるほど死に敏感なので
なにか異変を感じて
知らせてくれたりするのかな〜?
なんて思いましたが
そんなことなく
平常運転でした

ベガもちょっぴり
つらいときでしたが
いい子でお留守番してくれました
よく虫の知らせとか
最期に会いに来てくれたとか
聞きますが
そういうのも一切なく
父とわたしは
ちゃんと最後にお互い後悔なく
お別れをしているので
父も安心して旅立ったのでしょう
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時はすこしさかのぼり
父が亡くなったときの様子
前夜に、父が母を手招きして側に置き
一晩中母はそこを離れなかったそうです
父にはわかったのでしょうか
8日の朝になり
母とおばはいつも通り起床し
(母は一睡もしていないのですが)
ラジオ体操をして
朝ごはんを食べ
朝の連続ドラマを観ていました
ドラマがおわったころ
父が「テレビ消して」の
ジェスチャーをしたそうです
ドラマがおわるのを待っていたのでしょうね
つまり
父は最後まで意識があったということ
ドラマをおわったのが7:45
母が「もうだめだ」と
わたしに電話をくれたのが7:50
「息を引き取りました」
と、LINEをくれたのが8:37
あっという間の出来事でしたが
亡くなる直前に
ずっと瞑っていた目を
一瞬カッと見開いたそうです
そして、両手で「バイバイ」の
ジェスチャーをしたそうです
渾身の力を込めて
お別れをしたのでしょうね
自分が死んでゆく感じは
死んでみないとわからないので
死ぬまで一生わからないですが
きっと父にはわかったのでしょう
父が余命宣告をされたとき
「最後は寝たきりになる」
と言われたそうですが
つい先日まで元気だったのに
お医者さまのおっしゃる通りになりました
なんとなくイメージとして
寝たきりになって
本人の意識もなくなってきて
知らぬ間に逝くのかと思っていましたが
父は、最期までこの世を見つめていました
どこかが痛むわけでも
苦しいわけでもなく
自宅で最愛の妻に見守られながら
最期にお別れの儀式までして
なんとも潔い最期でした
余命宣告されてから
一年以上かけて
こういう状態になったので
もしかしたらこのまま
一ヶ月、数ヶ月
生きながらえるのかと思いましたが
寝たきりになってから二週間足らず
レンタルしたポータブルトイレも
用意しておいたおむつもほぼ使うことなく
自宅での介護入浴を利用したのも
結局一回きりでした
本当は亡くなったこの日が
2回めの入浴の日だったので
最後にすっきりさせてあげたかったけれど
母の負担を最小限にして
潔く幕を下ろしました
訪問医師は
二週間に一度の訪問だったのですが
いよいよとなって週に一度になり
前日もいらして
そしてこの日も訪問の予定でしたが
「今日とは思わなかった」そうです
これからは月一のパーティーのとき
もちろん父は食卓にはつけず
ほぼ飲み食いできない父を尻目に
わいわいするのか…?
なんて思っていましたが
父は最後までいっしょに
わいわいできました
できなくなったとき…
潔く去りました
くだらない話で大変恐縮ですが

ネイリストさんは父の事情を知っているので
「一番控えめな色にしてください
明日かも知れないし
半年後かも知れないんだけどね」
と伝えて、うすいベージュにしてもらった
翌日に亡くなりました
いつも、ネイルの後
食品や日用品の買出しをするのですが
自分のことも、家のことも
すべて整ったタイミングでした
主婦は、なにが起ころうが
家のこと、家族のことが
最優先ですから
くだらないことだけど大切なんです
悲しみのあと
献立や買物
ベガのごはんを気にすることなく
思い切り父を偲ぶことができました
ベガといえば…
ねこはよく「死の国の遣い」
と言われるほど死に敏感なので
なにか異変を感じて
知らせてくれたりするのかな〜?
なんて思いましたが
そんなことなく
平常運転でした

ベガもちょっぴり
つらいときでしたが
いい子でお留守番してくれました
よく虫の知らせとか
最期に会いに来てくれたとか
聞きますが
そういうのも一切なく
父とわたしは
ちゃんと最後にお互い後悔なく
お別れをしているので
父も安心して旅立ったのでしょう
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